2012年01月12日
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昔の代田のパノラマ模型と代田南地区会館

Written By: 川俣 晶連絡先

 以前、「て」さんより以下の話を教えて頂きました。

  • 代田南地区会館付近は北側に断崖になっていて、溢れる程の湧水があり、北沢川に注いでいた。(跡地発見出来ませんでした)

 そして最近、きむらたかしさんより、以下の模型の存在を教えて頂きました。

 「代田南児童館に」と書いてありますが、実は代田南地区会館と代田南児童館は同じ建物です。

 場所は宮前橋交差点と若林駅の中間の環七から少し入った場所です。三軒茶屋まで行けると思えば、十分に自転車で行ける距離です。

 というわけで、行ってみました。

結果 §

  • まさに写真に掲載されている模型が確かにあった
  • ただし、厳密には建物1Fにあり、代田南児童館ではなく代田南地区会館の方にあった。(単に置き場所を移動しただけかも知れない)
  • 周辺は確かに水っぽい雰囲気が漂っているが、明瞭な痕跡は見出せなかった
  • 高低差を辿ってみると、花見堂小学校方面が臭いと思ったが、厳密には良く分からない。(水源が1つとも限らない)
  • 花見堂小学校の由来が、かつて花見をするお堂があったとするなら、水との相性は良いはずである。なぜなら、かつては桜は消毒作用があると信じられ、上水沿いに植えられたりしたケースもあるから
  • 代田南地区会館の断崖に湧水があり、それによって育成された花を見るお堂が近くにあったと言う解釈もありかもしれない

更なる結果 §

 帰った後の机上調査で分かったこと。

花見堂小学校開校50周年記念式典に出席させていただきましたより

「花見堂」の由来は、諸説あるそうですが、「堂」というのが、舞台のある屋敷を意味し、四季折々の花を愛でることのできる屋敷「花見堂」がこの地域にあった、と言われているそうです。

また、代田に伝わる麦うちの歌「棒うちの唄」の一節に、“代田に名所が3つある、鶴塚にだいだらぼっちに花見堂”と歌われ、この花見堂は代田村の字の名で、今の代田1丁目が「代田村花見堂」であった、ということです。このように、「花見堂」は地域に根付いた名前でした。

 つまり、この説明が正しいとすると以下のことが言えます。

  • 花見堂は字名であり、花見堂小学校の敷地にお堂があったのかは分からない
  • 対象は桜ではなく「四季折々の花」

 しかし、「四季折々の花」であれば桜とは別の意味で水が必用であり、やはり水が豊富な土地であったのだろうと思います。

感想 §

 だいだらぼっちと花見堂はクリア。しかし、ここまで来ると鶴塚がどこか気になりますね。代田の名所?

 それからこのパノラマには、実は送電鉄塔が建っています。外に出ると本物の送電鉄塔が並んでいます。不思議ですね。

 それから、聞き慣れない名前の山や水車なども書き込まれていて、面白い模型ですね。

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